2010/06/28

Africa United。


ガーナ対米国戦は、サントンにある牛肉の旨い店で観戦。

でかい地元民が骨までしゃぶりつく。

延長戦でガーナが勝ったこの試合、客もみな立ちあがってガーナを応援していた。
大会に残った唯一のアフリカ勢。やはりアフリカ諸国の横のつながりは深い。




誰もが騒ぎまくっていたけれど、ブブゼラは禁止でした。


【6月29日発売】 
Number
(文藝春秋社)
*ナンバーノンフィクション アラゴネスの頑固
*連載 W杯中毒者のつぶやき ロベルト・カルロス

週刊サッカーダイジェスト
(日本スポーツ企画出版社)
*ポルトガル対ブラジル
*ガーナ対ドイツ

2010/06/27

翁アラゴネス。

南アフリカに来る直前、マドリードでルイス・アラゴネスに会った。

6月29日発売のNumberに寄稿した、ナンバーノンフィクションの取材。

この人、実際に会って話すと本当にいいおじいちゃんなんだけど、困ったことに大の取材嫌いで、いや、いったい何度彼の携帯を鳴らしてお願いしたことか。

そんな努力もなんとか実り、無事にインタビュー成功。

彼はどんなサッカーを目指してきたのか。
勝てないスペインをどう変身させEURO2008で優勝させたのか。
そして、今のスペインに何を思うのか。

アラゴネスが生きた72年間のサッカー人生が、言葉の節々から伝わってきて、いい時間を過ごせた。

今大会はアルジャジーラでTV解説中。スペインに対して厳しい発言も多いけれど、それも選手たちに対する愛情の裏返しなんですね。

それは話していてよく分かったなあ。


2010/06/26

マデイラの心。


ポルトガル対ブラジル戦。

スタジアムの前に、クリスティアーノ・ロナウドの故郷、マデイラ島の旗をまとったポルトガル人が座っている。

この日も、ロナウドはいまひとつ。

マドリードで見せるようなプレーは、いつになったら見れるんだろう。

悲しげな背中はそう問いかけているように見えた。

ポルトガルは無事に2位通過。
イベリア対決となるスペイン戦が、今から楽しみだ。


2010/06/25

ルステンブルクの夜。

日本が勝った。

2010年6月24日、ルステンブルクの夜。

日本は3回もネットを揺らして、90分間、大きなデンマーク人たちを驚かせるような、そんなサッカーをみせた。

これを超える試合なんて、今後も、なかなか見ることはできないと思う。





そして僕の携帯電話には次々と友人からのメールが届く。

バルセロナのルイスは「ホンダは最高だな」と、そしてミラノのルカは「イタリアは負けたし、これからはお前たちを応援するよ」。
グラスゴーのマーティンは「なんてサッカーなんだ!」と驚いていた。

試合後、南アフリカ人と日本人が一緒になって日本の旗を振っている光景は、たぶん一生忘れないだろう。


2010/06/24

路上にて。


ヨハネスブルグのスタジアムへと向かう途中、必ず立ち寄る交差点。

今日もいつものように、彼が何かを売っている。
各国のフラッグに帽子、そしてカラフルな長いブブゼラ。

ワールドカップ景気で、ずいぶんとおいしい思いをしたのだろう。

陽気な声で、彼は次の車に声をかける。



6月24日発売Footballista(スクワッド)

*アフリカンパワーの真実 コートジボアール

2010/06/23

一杯の旨さ。


ここ数日、ちょっと長めの原稿に取りかかっていた。

それもなんとか終了。庭の芝生の上に寝転がり、南アフリカのビールを愉しむ。

原稿が終わった後のビールが、いや、また旨い。

うん、このために書いてるんだよなあ。


2010/06/22

カレー。


アフリカ最大の港町ダーバンには、約80万人ものインド系移民が住んでいる。

当然、カレーが旨い。

だから、メディアセンターの食堂の、”今日の一皿”も、カレー。

これが、実に旨い。

インド人やパキスタン人の多い英国のカレーも最高だったけど、いや、これは久々にヒットでした。

今度は街中でトライしよう。





【6月22日発売】

Number (文藝春秋社)

*ポルトガル×コートジボアール C・ロナウド「ポルトガルに足りないもの」

*W杯中毒者のつぶやき バティストゥータ


週刊サッカーダイジェスト(日本スポーツ企画出版社)

*連載コラム まつりの響き

*アルゼンチン対韓国

2010/06/21

惜敗。


試合前のオランダ人たちは海辺で楽しげにビールを飲んでいた。

思い思いに着飾ると、やがてスタジアムへと歩いていく。

6月19日、この日もダーバンは晴れていた。






日本対オランダ戦。1点差の負けなら十分だと思っていた。

でも、試合が進むにつれて、そんな思いは消えていく。

これ、ひょっとしたら行けるんじゃないか。


結局、スナイデルの1発で日本は0−1で敗れた。

たった1点だけれど、現在の両国にある差はとてつもなく大きい。決めるか決めないか。わずかだけれど、なかなか乗り越えられない、大きな差。

でも、少なくとも日本はオランダ人たちを本気にさせた。

開幕前、日本にはほとんど期待していなかった。けれど、気がついてみれば次のデンマーク戦、引き分けで日本の決勝トーナメント進出が決まる。

24日、膨らみつつある期待と共に、ルステンブルクに行こうと思う。




2010/06/20

少年とブブゼラ。


ダーバンにいる。

試合前、スタジアムへと向かうバスの中、僕の隣に少年が座っていた。

小さな手に、カラフルなブブゼラ。

きっと今回のワールドカップ用に、お父さんにでも買ってもらったんだろう。

彼の目にこのワールドカップはどんな風に映っているんだろうか。


少年が一生語れるような、魅力的な大会になってほしい。



2010/06/19

停電。


6月17日の夜、ヨハネスブルグ郊外、ノルケンパーク。

ワールドカップ期間中、クリフォードさんの家を借り切っているライター3人は恐怖に襲われた。

キッチンで男3人で調理中、突然家じゅうの電気が消え、辺りが真っ暗に。

外を見てみると、どうやらこの地区全体が停電した模様。

この間を狙い、強盗団が押し掛けるのではないかと、ビクビクして週末のバカンスでポート・エリザベスにいるクリフォードに電話する。

すると、

「ああ、停電ね。あるある。南アじゃ普通だよ。待ってろ、30分で戻るから」

そして本当に30分で復旧した。

停電中、パスタが冷めてしまうので、ろうそくをつけて美味しく食しました。


2010/06/18

おいおいおい・・・。


スペインが負けた。

6月17日発売のNumberに、”モウリーニョが語るスペイン代表の倒し方”という原稿を寄稿した直後のこと。

モウリーニョには5月にローマで話を聞いたんですが、スイスのヒッツフェルト監督、まさにモウが唱える方法論で、スペインを撃破してしまった。

個人的にはスペインには勝ち進んでほしいので、複雑な気持ち。
でも、バルサやスペインに勝つには、あのやり方しかないんだよなあ。

ちなみに原稿には、モウに対するバルサのチャビの反論も。この二人、考え方がまるっきり違って面白いです。




【6月17日発売】

Number (文藝春秋社)

*モウリーニョ 「優勝候補スペインはこう倒せ」

*W杯中毒者のつぶやき 「アリゴ・サッキ」


World Soccer Digest(日本スポーツ企画出版社)

*ダビド・ビジャ 「チャレンジの夏」

*連載 サイモン・クーパー「南アフリカ神に祝福されし国」

*ポルトガル・ジャーナル ヌーノ・ルス


2010/06/16

ポルトガル人と。


ポート・エリザベスで行われたポルトガル対コートジボアール戦を取材する。

この国には、約50万人のポルトガル系移民がいる。
20世紀初頭に、母国を出て移住していった人たち。

TVのサッカー中継も、ポルトガル語での放送もあるほど。
スタジアムにも、多くのファンが駆けつけていた。

国旗を持つ女の子に、陽気なおじさんたち。






そんな傍ら、しっかりとコートジボアール人もいた。

Feel it. Drogba is here!!!

かっこいい。このフレーズ、Tシャツにでもしようか。




【6月16日発売】 

週刊サッカーダイジェスト(日本スポーツ企画出版社)

*南アフリカ対メキシコ

*アルゼンチン対ナイジェリア

Footballista(スクワッド)

*ワールドカップ開幕コラム

2010/06/15

勝利。


日本対カメルーン戦当日。

ブルームフォンテーンのスタンドに映る、青と黄のユニフォーム。


その光景はなんとなく、4年前のカイザースラウテルンを思い出させた。


あの時は先制したけれど、終了間際に3失点。
試合後のスタンドに呆然と立ち尽くしたのを覚えている。

しかし今回は違った。

1−0。

チャンスは少なかった。

後半はいつ追いつかれてもおかしくないような展開だった。

見栄えのサッカーだとはお世辞にも言えない。

それでも、日本は勝ち点3を手にした。自国開催以外のワールドカップで、初の勝利。素直に評価していいと思う。

終了のホイッスルが鳴った瞬間、思わず手を握り締める自分がいた。





試合後、ブルームフォンテーンの空港へ向かう。

出発ロビーのベンチに中村俊輔が座っていた。

3月にバルセロナ空港で別れてから、久しぶりの再会だった。

日本代表のチャーター便の飛行機が発つまでの間、いろんな話をした。

終わったばかりのカメルーン戦について。出番がなかったことについて。そしてこれからについて。

この4年間、彼が日本代表のことをいつも考えて過ごしてきたことを、僕はよく知っている。次のオランダ戦、ピッチに立つ姿を見てみたい。


やがて日本代表のチャーター便が飛び立つ。さて僕も乗ろうかと思い席を立つと、1便はキャンセル、さらにもう一便はディレイ。

幸いにも僕の便はディレイ。

カメルーン戦の余韻に浸りながら、例のプロペラ機を待つとするか。

2010/06/14

移動。


明日はいよいよ日本対カメルーン戦。
会場となるブルームフォンテーンへ移動する。


今大会で拠点としているのはヨハネスブルグ郊外のノルケン・パークというところで、ライター仲間二人と一軒家を借りてシェアしている。

この国の郊外の家がほとんどそうであるように、ここも庭&プール付きの家なんだけど、冬なのでさすがに泳げない。




セキュリティ会社のアラームも完備。

庭を囲む塀も「入るなあぁ」とでも言わんばかりの風体。

まあ、これらはこの国では常識なんだけど、安全な暮らしに慣れた僕らが見ると、ちょっとぎょっとする。




無事にブルームフォンテーンに到着。飛行機は完膚なきまでにプロペラ機。
去年もこの町に来るときはこの機体だったけど、やっぱりいつ乗っても慣れないもんです。



2010/06/13

水色の光景。


アールヘンティーナ!アールヘンティーナ!アールヘンティーナ!

アルゼンチン対ナイジェリア戦。

会場のエリス・パーク周辺は、ライトブルーに包まれたアルゼンチン人たちで埋めつくされていた。

メッシのユニフォームを着た人。テベスも確固たる人気を誇り、そしてもちろんマラドーナ。ベンチの前でグレーのスーツを着て指示をする姿は、やっぱり新鮮だ。





そして試合後−。

アールヘンティーナ!アールヘンティーナ!アールヘンティーナ!

試合はアルゼンチンがチャンスを決め切れずに(何をやっているんだイグアイン)、1−0で終了。

まあ、勝利は勝利、手元にはしっかりと勝ち点3。これからみんなでセルベサでも飲みに繰り出すんでしょう。

でも次は先発でミリートが見たい。





沈むナイジェリア人。



2010/06/12

開幕。


開幕の日。

ヨハネスブルグは大渋滞だった。

12時前にノルケン・パークの家を出たのに、スタジアムに着いたのはキックオフ3分前。少しも進まない渋滞にも関わらず、南アフリカ人は楽しそう。
陽気にブブゼラを吹いては、窓から乗り出しフラッグを揺らす。



こんなおおらかなスタンスでいかないと、この国で5週間は生き延びれないかもしれない。



昨年、コンフェデレーションズカップ取材でもヨハネスブルグに滞在したけれど、開幕戦のスタジアム、サッカーシティを訪れるのは初めてだった。

遠くから見たらこれ、完全にアリか何かの巣ですね。
中からみると、これがまた独特の画でおもしろい。
これまでに世界のいろんなスタジアムをみたけれど、デザイン的にはとてもユニークで、僕はいいと思う。






そして客席から見上げる青い空がまた、きれいだったなあ。


2010/06/11

出発。


2010年6月8日、早朝−。

大きなスーツケースを抱え、バレンシア通りの自宅を出る。
4時30分のバルセロナ、辺りはまだ薄暗い。

アムステルダム経由、ヨハネスブルグ。オレンジ色のユニフォームを着た大勢のオランダ人(これがみんなでかい)と僕を乗せたKLM機は、一路南へ飛んでいく。




ドイツワールドカップから4年が経った。

4年前は開幕前日にグラスゴーからハンブルグへと飛んだっけ。
ドイツ中を回った一ヶ月。
決勝の地ベルリン、オリンピア・シュタディオンの光景は今も鮮明に残っている。

あれから僕は4歳年をとって、住む国も、街も、周囲の色んなことが変わった。
でも大会が始まる前の、この高まっていく気持ちは、18歳のときに初めて見たフランス大会の頃と何も変わらない気がする。

ヨハネスブルグ空港に到着し、出口へと歩いていく。
目の前に二人のメキシコ人がいた。楽しそうに肩を組む姿。
みんな、きっと同じ気持ちなんだろう。